リバティ社の歴史
私たち子供のころから親しんできた「小紋柄」のような素材が、いつの時代にも流行のようにくりかえされて来ました。リバティプリントには、日本の伝統美にインスパイヤされたルーツがありました。
1875年、アーサー・ラセンビィ・リバティによって設立されたリバティ商会を基にその歴史が始まります。当時もっともエレガントな通りとして知られていました、イギリス・ロンドンのリージェント・ストリートに設立された店では「美しく良質な日用品をより多くの人に提供する」という信念の下、日本をはじめとする東洋から輸入した布や美術品販売しました。しかし、東洋の布地は仕立屋や家具職人が扱うには繊細過ぎ、インドの生地は染料が退色しやすかった為、英国内の染織家によるプリントを始めました。インドの小花柄・アラブの更紗柄・日本の小紋柄などに影響を受けた異国情緒あふれる美しい東洋風のプリントが顧客を魅了していきました。
1890年代には。「モダンデザインの父」呼ばれる詩人でデザイナーのウィリアム・モリスをはじめとする、アール・ヌーボーの旗手たちがプリントデザインにも参加しました。リバティ社はそれらのアーティストたちをバックアップすることで、アール・ヌーボーの発展にも貢献を果たします。
時は進み、1920年代にはファブリック部門が急成長しました。後に、ベストセラーとなるタナローンの製法が確立されたのは、1930年代後半になります
1950年になると、伝統的なデザインとモダンなデザインの2種をコレクションに取り入れ、新進デザイナーの起用にもリバティ社は力を注ぎます
1960年代には、マリー・クワント、キャシャレル、イブ・サンローランなどのデザイナーたちから高い評価を受け、
コレクションにもリバティプリントが採用されました。
1970年代後半、リバティ商会設立から100年余りの時を経て日本への布地の輸出がスタートしました。
1980年代には、再現性を重視した日本でのリバティプリントが生産開始しました
“ミナ ペルホネン”の皆川明さん、“ツモリチサト”の津森千里さんや、グラフィックデザイナーの渡邊良重さん、世界一有名な日本のキャラクター、ハローキティとのコラボレーションなど、ユニークなクリエーションは常にファッションの最先端でトレンドを発信しています。時代のニーズに合わせて独自の進化を続けています。