繊維の歴史と日本の衣生活(織物の夜明け)

 天然繊維の利用は中近東から。西南アジアやエジプトの約8000~6500年前の新石器時代の遺跡から織物の断片が発掘され、この頃に織物が発明されたと信じられている。すべて、植物性で、まず、最初にエジプトで麻が続いてインドのインダス地方では綿が使用された。

 動物の毛織物は約5000年前のメソポタミアにおいてであった。羊毛からの織物の製作技術の確立によって、これは単に毛織物の生産ばかりではなく、食糧生産のうえからも画期的な発明であった。羊毛をより合わせて糸にする、いわゆる“紡ぐ”技術の開発によって本格的な毛織物が作られた。動物性織物のもう一つの代表の絹は羊毛の利用に比べると、はるかに遅れ、約4000年前の中国で使われ始めた。当時としては絹は最高・最良の織物であった。シルクロードの言葉は西側の民族が作ることの出来なかった絹を、これらの地域の人たちがいかに中国から求めたがっていたかを物語っている。

 1828年ドイツの科学者ウェーラーによって有機化合物である尿素が無機化合物のシアン酸アンモニュウムから偶然の機会に合成されたのがきっかけであった。有機化合物といえども化学の法則にしたがって反応することが次第に明らかになり19世紀の末頃に人造絹糸の開発が行われた。木材から調整したパルプに化学処理を加えて、溶けにくかった繊維を溶ける形に変えた。これらの繊維を造る技術は、1890年代にフランス、ついでイギリスで完成したものである。現在でも使用されているレーヨン、キュプラ、アセテートなどは、こうして出てきた繊維である。そして、1938年遂にアメリカのカロザースが革命的な化学繊維ナイロンの発明に成功する。長い年代にわたって、利用してきた天然繊維からの脱却は、ここから開始されたのである。ナイロンに続いて開発されたアクリル、ポリエステルは天然繊維に取って代わるようになってきた。

 日本では約5000年前の縄文時代から、一般の衣料は麻であった。麻の織物だけの期間は長く、約3200年も続いた。日本で絹利用が始まったのは2世紀の初頭、つまり、卑弥呼の時代の頃であったらしい。そして日本人が麻と絹の衣料で過ごす時代は、16世紀末の豊臣秀吉の時代に綿が知られるようになるまで長く続いた。日本の綿作りは、17世紀後半の徳川時代の中期から20世紀初頭の大正時代にかけて盛んになり、それと共に綿織物が普及した。
 一方、羊毛の本格的生産は、日本では遂に行われることはなく、原料羊毛の加工工業として発展するほかなかった。

 綿織物の輸出は1933年(昭和8年)には長く世界市場を制してきたイギリスを抜き、世界一の座を占めるようになった。この成功のかげに、安価で取り扱いが簡単な木製動力織機を明治30年に発明した豊田佐吉(1867~1930)の存在は忘れることができない。彼の名は現在自動車メーカーの社名にその名残りを留めている。苦心の末殆ど独力で1920年中頃に工場生産にこぎ付けた人造絹糸は、次第に日本人に普及して1936年(昭和11年)には世界一の生産を上げるまでに発展する。第二次世界大戦によって壊滅的打撃を受けた化学繊維工業が、急速に回復して1960年頃になると、その生産高は世界第二位、世界の全生産高の18%を占めるまでに発展した。

 米国のカロザースが発明した合成繊維「ナイロン」は絹に似た光沢を持ち強度も高い。当時、天然に代わる「夢の合成繊維」とうたわれていた。レーヨンからナイロンへ戦後の合成繊維を飛躍させた技術導入に東レ会長の田代茂樹(1890~1981)は社運をかけた。ナイロン技術導入で現東レを飛躍させた田代が痛感したのは日本の基礎技術の遅れである。日本の経済成長は技術革新に負うところ大だが、遺憾ながら、外国からの技術導入によるものが大部分だ。
 60年に10億円の基金を拠出して、財団法人東レ科学振興会を設立したのも、外国と対抗できる独創技術への意欲への表れである。繊維産業の最近は中進国から追い上げられて、厳しい構造調整の時代にあり、21世紀に勝ち残るために必要なのは、田代の遺産である優等生企業という器ではなく、田代の七転び八起き人生が示すしなやかさであるように見える。

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